インターン生が考える 哲学から見た「考える」

 大学の哲学の授業で思うところがあったので、それについて書かせていただきます。

 現在授業では「カントと啓蒙」について学習をしています。カントは多くの人々がいまだに啓蒙されていない原因について4つの観点をあげました。その中でも「マニュアルや専門家への依存」と「既存の制度や形式(法律や慣習)への盲信」の2つに関心を抱きました。



 「マニュアルや専門家への依存」とは「私に変わって考えてくれる人やものさえあれば、私は考えるということすら必要ではない。厄介な仕事は自分でするまでもなく、他人が私に変わってやってくれる」と言ったものです。私たちが生きる現代社会は情報社会と呼ばれ、何かわからないことがあれば、パソコンやスマートフォンを起動させすぐに調べることができてしまいます。たとえ情報が正確でなかったとしても、鵜呑みにしてしまうことが多いように感じます。調べることや他者の意見に満足し、自分で考えることから逃げていたということに気づきました。

 「既存の制度や形式(法律や慣習)への盲信」とは「様々な形式や制度は、人間の自然的素質を理性的に使用せしめる -  或いはむしろ誤用せしめる機械的な道具である」と言ったものです。特に日本は制度や形式に縛られていることが多くあるように感じます。何をするにもルールというものが決められ、それに従って生きていれば何ら不自由なく生きていけることが可能な国であると私は考えています。しかし、講義を受けることで現代社会において便利だと言われて作られてきたものや制度たちは、私たちから「考える」という多くの機会を剥奪しているのではないかと感じました。

 アメリカでのインターンシップを終え、「考える」ということの大切さを学び帰国をしましたが、講義を受けることでさらに「考える」ということに対して真剣に向き合わなければならないと感じました。


2020/9/29  加藤亜門


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