細かいけど親切な日本・分かりにくいけどシンプルなアメリカ

 日本を離れて5日目。カルチャーショックの段階でいうと、①ハネムーン期(新しいものに魅力を感じる時期)の真っただ中にある私は、日本とアメリカの違いを新鮮な気持ちで発見する日々を送っています。

 そんななか感じるのは、「日本は全てがしつこいくらいに細かい、けど相手目線で親切。アメリカは慣れないと分かりづらいことが多い、けどとてもシンプル。」ということです。


 ホームステイ先に着いた初日、同じ家でホームステイをしていたけど明日帰国する予定だという方に出会い、荷物に入りきらないからということで、袋にはいったアメリカのチョコレートをいただきました。先日、その方を懐かしく思いながらチョコレートの袋を開けようとすると、なんだか違和感を感じました。
 袋が開かない。
 少し力を入れてもう一度引っ張ると袋は無事に開いたのですが、きれいに開けることはできず、開けた部分がビリビリになってしまいました。私の開け方に問題があったのかもしれません。でも、やっぱりあの袋はチョコレートを入れるためだけのものであって、中にチョコレートが入っていて、上部と下部が閉じられていれば十分だ!バチン!というような感じで作られた袋であるように思えてなりません。(違うとしたら、大変失礼なことを言っています。)

 日本のお菓子を思い出してみました。外側の箱には、「開け口」と分かるように書いてある。食べかけでも蓋ができるように、差込口のようなものがついている。ものによっては何通りかの開け方ができるようになっていて、購入した人の需要に合わせることができるようになっている。内側の袋は、「ここから破ってください」といった感じのマークがついていたり、ポッキーを思い出してもらうと分かりやすいと思うのですが、袋の裏側により食べやすくなる開け方が書いてあったりする。そして袋は開けやすい。

考えてみると、結構違いがあるように思えます。もしかしたらこうかもしれない、こんなことがあるかもしれない。と相手の状況を先読みして細かすぎるほど親切にしようとする日本。一方、慣れるまでは不便に思うことがあるものの、余計な情報を与えたり、読ませたりすることなくシンプルにすませるアメリカ。

 これは日本人スタッフの方と話していて気が付いたことですが、アメリカのトイレはなんというか少し原始的です。ものにもよると思いますが、トイレットペーパーのホルダーはレバーが動いたりするわけではなく、自分の力で芯がはまるように押し込みます。ウォシュレットはまだ見かけていません。工夫や人に合わせた選択肢よりも、物としてしっかり機能を果たすこと、余分な物をなくしてシンプルにすることが意識されているのでは、と感じます。


 バスに乗る時も似たようなことを感じました。まずバス停。教えてもらわなかったら分からないかもしれないほど、小さな看板が立っているだけの場所です。時刻表もありません。ちなみに、バスがいつ来るのか気になる私はGoogleマップを開いてしまうのですが、他の利用者の方は特に調べたりする様子もなくのんびりバスを待っています。

 そしてバスの中。バスのつくり自体に大した違いはないのですが、シンプルさを感じたのは降りる際に押すボタンです。初めてバスに乗った時、まずは降りるときに必要なボタンの位置を確認しよう、とボタンを探したのですが、わたしはしばらくそれを見つけることができませんでした。その理由は、私の想像していたボタンの形状と実物が大きく異なっていたからです。私が乗っていたバスの降車用ボタンは、ボタンというよりテープのような壁にくっついている30センチ程の棒状のものでした。日本のバスには、THEボタン!といった感じの見た目にも分かりやすいボタンがあちこちにくっついていますが、このバスのボタンは、初めて乗る人にはぱっと見気が付かないような形状です。

 降りたいバス停の前になったので、そのボタンを押したのですが、ポチッという押した感覚はありません。これで押せているのか?降りられるのか…?という不安を抱きましたが、バスは無事に停まり、安心しました。

 やっぱり機能を果たすシンプルなものであればそれがベストだ、という感覚でもの作りがされているのかな、ということを感じます。

 ずっと日本で生活してきた私にとって、どちらの方がいいかと聞かれたら、今は日本のものが自分には合っていると感じますが、本当はどちらがいいとか簡単に決めることはできないんだろうと思います。きっとアメリカの方からしたら、いろいろと世話を焼いてくる日本のものは、情報量が多くて使いづらかったりするのでしょう。

 その土地では、その土地の人に合うものが広まり、その土地の人はその土地に合うものを作るのだということを体感できるのは、やはり面白いです。

2019/06/10 原唯奈

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