※このブログはインターン生のNATSUMIが作成しています。
「若者の○○離れ」
この言葉が初めて使われたのは、46年前のようで、恐らくこの言葉はそれ以来、その時代の「若者」に対して、よく使われているのではないでしょうか。96年生まれの私が、現在言われている「若者の○○離れ」について、一考してみたいと思います。
現在よく言われているのは、「車離れ」「新聞離れ」「読書離れ」「結婚離れ」「テレビ離れ」などです。(一部のみ抜粋しましたが、まだまだあります。)
しかし、時代の流れとともに、若者という存在も移り変わるのも当然のように思います。「若者の○○離れ」を話題にしている世代と、その「若者」の間で生まれ育った時代や、常識に違いがあります。例えばですが、「車離れ」については、公共交通機関の発達や、レンタカーやカーシェアリングの普及など、マイカーを持つ必要性が昔に比べて低いように思います。
さらに、その○○自体が「若者」に対して、元々身近な存在ではない、ということが考えられます。「新聞離れ」、「テレビ離れ」を例に挙げてみます。22歳の私にとっては、昔は馴染みがありました。しかし、現在ではそのどちらもスマートフォン一台で、完結してしまいます。そして、今の小学生低学年のような子にとってはどうでしょうか?また違った結果になると思います。
私は黒電話を見たことがありません。小学生の頃は所謂、ガラケーを使用していましたが、中学に入った時にはiPhoneに変更しました。恐らく、私より下の世代はガラケーを使ったことがありません。そして10年後に生まれる子供たちは、5Gの世界が当たり前となり、スマートフォンすら使ったことがない、という世代になるでしょう。
上記でも述べましたが、時代の流れとともに若者も変化します。約10年前にスマートフォンが普及してから、社会の在り方は大きく変化しました。先日、5歳下の高校生と話す機会がありましたが、たった5年違うだけでも、物事の考え方や価値観に差異があるように感じました。
なので、「若者の○○離れ」は時代の変化、価値観の違いによる需要の減退によって必然的に起こることであると考えます。「離れ」という否定的なイメージの言葉を使うのではなく、違うことを理解し、「若者」はこんな風なのだと受け入れてくれると、若者として、嬉しく思います。私はもっと若者である、小学生、中学生と話して彼らとの違いを少しでも理解しなければいけません!
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