インターン生が思う。非対称なボランティア



半年間の留学生活で、二度ボランティアに参加しました。私自身、得られたものが大きく、充実した時間を過ごせました。しかし、一方的ではなかったか。受け入れ側の立場になって考えてみました。



ボランティアというのは、お金をもらわず人のために働くことから、立派な行為のように思われます。ところが、本当は、自分の満足感のためにやっている人もいるのではないかと思いました。「奉仕の精神を持っている自分は素敵」という気持ちです。つまり、「見返りなしに他者に奉仕する自分に酔っている」のです。これは、一種の見返りを求めていることになります。



もちろん、自己満足が目的であっても、しっかりボランティアで役に立つことができれば立派だと思います。しかし、別にボランティアでなくても、社会貢献ができるのではないかと気づきました。



現地では、気づかないうちに迷惑をかけていたかもしれません。私達から一方的に教育や交流のために押しかけて、同等な機会を相手に保障していません。



また、このような記事を見つけました。企業のCSRの森林保護活動で大勢の社員が森に入り、踏み荒らす。環境への負荷が増えた。よかれと思った行為が、現地の人達に対して、全て有益になるわけではないのです。



さらに、ボランティアの問題は「継続性」です。一般的には、時が経つにつれ、活動に参加するメンバーが固定化しています。しかし、その人たちさえ徐々に減り、活動が困難になっています。このような状況の中、短期ボランティアで押しかけた私は、成果を上げるどころか、厄介だったかもしれません。大抵の学生が、短期間でボランティアを終えるため、受け入れ側は私達を頼りにしていないのが、現状です。



この視点を踏まえて、自分の経験が「真のボランティア」だったのか。振り返ってみました。現地で行ったことは、観光の一種で、楽しい時間にすぎませんでした。エージェントを通して経験するボランティアは、もちろん安全が考慮されていて、本当に貧困に苦しんでいる人のサポートはできません。私のボランティアは、自己満足でした。



「何かをしてあげたい」という自分中心の視点だけで見ていると、起こり得る問題だと感じました。ボランティアをする上で、「相手が何をしてもらいたいか」を大前提に考える必要があると思いました。



2019/12/13 八巻美穂

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