あなたは幸せですか?
Yesと思う人は読んでもしょうがないんで、そっとCtrlとWを同時に押してください。
この質問は謎なことに、Yes/Noクエスチョンではないんです。
人は幸せだと感じていないくらい幸せな時が一番幸せだそうです。
例えば、渋谷のハロウィンで軽トラを横転させた人は世間的に見たら「悪い」で終わりだけど、一概に悪い!はい終わりではなく、彼らにとっては楽しくて幸せだったろうから彼らにとっては「良い」という捉え方ができます(その後は知らん)、しかし横転させられた軽トラの持ち主は幸せを侵害させられたから総括してみると「悪い」です。そういった捉え方です。
例えがひどいですね、もう少し言い換えます。
人は幸せなのが一番です、しかし個人の幸せを見境なく横行させることは無理があります。なので無理のない範囲内で全員にそれなりに幸せになろうという意味です。また、毎日明るく生活しているホームレスと毎日快適な生活を行ってるが心が病んでるメンヘラは、後者の方がよくないという意でもあります。
人生の満足度の良し悪しの尺度でありどんな境遇の人でも捉え方によって増減させられます。
こちらは「ひぐらしのなく頃に」という作品に登場する詩です
※原作はゲームだからと侮ることなかれ、言わずと知れた名作です。
井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外に何も興味がなかったから。
井の中の蛙は幸せでした。井戸の外で何があっても関係なかったから。
そしてあなたも幸せでした。
井戸の外で何があったか知らなかったから。
深いです。井の中を日本と、蛙を日本人と、外を外国と言い換えてみると面白いかもしれませんね。日本の生活が常識 衣食住が確保されているのが当たり前。しかしそんな当たり前のような日常も続けば続くほど退屈になってきます。またSNSなどで他人(ヒト)と生活を比べてしまって自分の生活はいかに貧相なものかと頭を抱えてしまう人もいますが。
誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその享受。
誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその履行。
私だって幸せになる権利がある。
難しいのはその妥協。
そう感じる人はこの詩の一番下の段階にあたるのではないでしょうか、そのままの意味で妥協したほうがいいというわけではありませんが、後述の、ちょっと立ち帰って現状を考え直してみるといいという意味です。
※まあ実は原作の言いたい意味とはちょっと解釈が違うのですがね
そんな時に、「井の中」から飛び出して「外」に行ってみると新たな発見があって面白いかもしれません、その悩みなどちっちゃく感じるようになります。しかし外国なんてそう簡単にいけねえよって思って思いました?
「井の中」は自分の常識 気楽だと思える場所 「外」はその外側という意味で捉えてみてください。もしくはコンフォートゾーンっていう言葉をググってください、意味がわかると思います。
※実は例に挙げただけで、キャンプはこれからやろうかなって思っている段階ですけどね、バイク旅も不便を楽しむ内に入るんで、まあ許してください。
さて、このブログを最後まで読んで少しでもそう感じることができたならあなたもそっとCtrlとWを同時に押して精一杯今日の幸せを履行しましょう。
MCICインターン生のYukiでした。
Yesと思う人は読んでもしょうがないんで、そっとCtrlとWを同時に押してください。
この質問は謎なことに、Yes/Noクエスチョンではないんです。
人は幸せだと感じていないくらい幸せな時が一番幸せだそうです。
ある日突然幸せが無くなってしまうかもしれない、だからこそ今を一生懸命生きてください。
これはちょっと変えてますが中学頃の担任の先生の言葉です。サンフランシスコの方のホームステイファミリーも似たようなことを言っていました。幸せに感じるならそれでいい ただし他人の幸せを侵害することは許されない。
というのは私の意見です。例えば、渋谷のハロウィンで軽トラを横転させた人は世間的に見たら「悪い」で終わりだけど、一概に悪い!はい終わりではなく、彼らにとっては楽しくて幸せだったろうから彼らにとっては「良い」という捉え方ができます(その後は知らん)、しかし横転させられた軽トラの持ち主は幸せを侵害させられたから総括してみると「悪い」です。そういった捉え方です。
例えがひどいですね、もう少し言い換えます。
人は幸せなのが一番です、しかし個人の幸せを見境なく横行させることは無理があります。なので無理のない範囲内で全員にそれなりに幸せになろうという意味です。また、毎日明るく生活しているホームレスと毎日快適な生活を行ってるが心が病んでるメンヘラは、後者の方がよくないという意でもあります。
人生の満足度の良し悪しの尺度でありどんな境遇の人でも捉え方によって増減させられます。
こちらは「ひぐらしのなく頃に」という作品に登場する詩です
※原作はゲームだからと侮ることなかれ、言わずと知れた名作です。
井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外に何も興味がなかったから。
井の中の蛙は幸せでした。井戸の外で何があっても関係なかったから。
そしてあなたも幸せでした。
井戸の外で何があったか知らなかったから。
深いです。井の中を日本と、蛙を日本人と、外を外国と言い換えてみると面白いかもしれませんね。日本の生活が常識 衣食住が確保されているのが当たり前。しかしそんな当たり前のような日常も続けば続くほど退屈になってきます。またSNSなどで他人(ヒト)と生活を比べてしまって自分の生活はいかに貧相なものかと頭を抱えてしまう人もいますが。
誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその享受。
誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその履行。
私だって幸せになる権利がある。
難しいのはその妥協。
そう感じる人はこの詩の一番下の段階にあたるのではないでしょうか、そのままの意味で妥協したほうがいいというわけではありませんが、後述の、ちょっと立ち帰って現状を考え直してみるといいという意味です。
※まあ実は原作の言いたい意味とはちょっと解釈が違うのですがね
そんな時に、「井の中」から飛び出して「外」に行ってみると新たな発見があって面白いかもしれません、その悩みなどちっちゃく感じるようになります。しかし外国なんてそう簡単にいけねえよって思って思いました?
「井の中」は自分の常識 気楽だと思える場所 「外」はその外側という意味で捉えてみてください。もしくはコンフォートゾーンっていう言葉をググってください、意味がわかると思います。
幸せな人だけができる高度な趣味
だからこそ私は、旅が好きです、バイクが好きです、キャンプが好きです。キャンプは普段快適な生活をしている人が、わざわざテントとかガスバーナーとかをアウトドアに持ち出して不便な生活を楽しむといった趣味です。まさに「井の中」から飛び出して「外」に行ってみるという体験を体現しているアクティビティです。※実は例に挙げただけで、キャンプはこれからやろうかなって思っている段階ですけどね、バイク旅も不便を楽しむ内に入るんで、まあ許してください。
包括してみると
人の欲求は限度がないですね、となると原点に回帰して「当たり前な日常」が幸せだということに気がついてそれを一日一日精一杯履行することが幸せの本質なのではないでしょうか ということが私の見解ですがいかがでしょうか?ちなみにその理論でいくと私は結構幸せです。さて、このブログを最後まで読んで少しでもそう感じることができたならあなたもそっとCtrlとWを同時に押して精一杯今日の幸せを履行しましょう。
MCICインターン生のYukiでした。
コメント
コメントを投稿