色と自己主張

 色について最近よく考えています。きっかけは、カリフォルニアの空気感に馴染むにはもっとカラフルな服を選ぶべき、とアドバイスを頂いたことです。

 自分の服装がそこまで地味で目立たないものだと自覚していませんでしたが、自分の部屋のクローゼットを思い出してみると、確かに私の服は、思い出せるもののうちでもほとんどが白や黒の特に特徴のないものばかりで、驚いてしまいました。無意識のうちに、目立たないように、注目されることがないように誰が着てもおかしくない服を選んでいたのだと思います。

 そんな私に、とてもカラフルなランニング用のシューズを代表が譲ってくださいました。



 一目見たときは、かなりはっきりとしたピンクと黄色の色づかいに衝撃を受けて、私にはこの靴を履きこなすことはできないのでは…という不安が頭をよぎりましたが、どんなものも身に着けているうちに自分のものになってくるのだからとりあえず履いてみたらいいという言葉を信じて、その靴を履いて外に出ました。

 はじめはその靴が放つ明るさに緊張してしまっていましたが、慣れてくるとその靴の色を見るたびに、心が元気になるような感覚を覚えました。歩くのが楽しいとも感じます。靴に色が付いただけで、自分にもアイデンティティができたような気持ちで、他の誰でもない自分として存在していることに嬉しさがありました。色のもつ力は偉大です。色が人の気持ちを変えて、気持ちが変わると行動も変わっていきます。
 
 改めて、日本のまちを歩いている時と比べて自分の周りを見渡してみると、すれ違う人の服装や髪形が人によって全く違う、同じような姿の人を見かけることがとても少ないと感じました。みんなそれぞれ自分の好きなものを、好きなように取り入れています。人からどう見えるかとか、周りになじめているか、ということよりも、自分を自分として存在させることが無意識のうちに重視されているのだろうか、と考えました。

 インターンシップ中にもよく指摘していただくことですが、日本人としてここで生活したり仕事をするには図々しいくらいの自己主張が必要です。察しの文化がある日本では、いちいち言動にあらわさなくても、文脈で相手に理解してもらえることが多いですが、それは通用しないと、皆さんから教えていただきました。分からないときは、それを伝えなければ説明してもらえないし、自分を覚えてもらおうとしないと忘れられてしまいます。

 そんな自己主張が基本の国では、色がひとつの大きな役割を果たしているのでは、と思います。今まで挑戦してこなかったカラフルな洋服を取り入れることは、私にとって難しさもありますが、色を通して自分を表現することの意味や楽しさが少しずつ分かってきました。やる前から嫌いだと決めつけずに、まずは取り入れてみて、それから考える自分になりたいと思います。

2019/06/17 原唯奈









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